「相続=お金の話」やと思ってない?
たしかに制度的にはそうやけど、
ほんまに残される側が欲しいのって、お金よりも“記憶”と“納得”なんやにゃ。
- 「ちゃんと大事にされてた」っていう気持ち
- 「あの人らしいなぁ」って思える形
- 「ありがとう」を言えた時間
相続って、本質的には人と人の“最後のやりとり”やにゃ。
せやから、「いくら」より「どう残すか」のほうが、ずっと大事になる。
相続で壊れるのは、“お金”じゃなく“人間関係”やにゃ
「うちは揉めへんと思ってたのに…」
そんな声、よう聞くんやにゃ。
実際に相続トラブルが起こるのは、
お金が欲しいからやないことが多い。
- 「自分だけ少ないのは、軽く見られてたんやろか」
- 「介護したのに、何も言われへんかった」
- 「あの人ばっかり…」
こういう“気持ちの傷”が爆発して、関係が壊れる。
→ だからこそ、金額よりも「納得感」と「気持ちの伝え方」が大事なんやにゃ。
大金は、器をこえて人を壊すことがあるにゃ
人って、自分が「扱ったことない規模のお金」を急に持つと、
感謝よりも“当然”って錯覚して、堕落してしまうことがあるんやにゃ。
たとえば…
- 宝くじで大金を得た人の7割以上が「不幸になった」と感じている
- 銀行に高額の預金を見られて、“資産運用”と称して手数料まみれの商品を売られる
- 見栄が膨らみ、たかられる人が寄ってきて、人間関係が崩れる
- 一度贅沢を知ると生活水準が戻せなくなって、逆に不自由になる
器が育ってないうちに金だけ入ると、逆にその人の人生を歪める。
実際、「お金だけあげたら人は何もしなくなる」っていう実験もあるにゃ
心理学の実験で、無条件にお金をもらった人たちは、働かなくなり、幸福度も下がったって結果が出てるにゃ。
なぜか?
- 自分の意思で得たものじゃないから、自信につながらない
- 頑張らなくても得られるから、挑戦しなくなる
- 「どうせまたもらえるやろ」って、依存してしまう
→ 人は、“自分で手に入れた”って感覚がないと、満足できひん生き物なんやにゃ。
じゃあ、どうすればええの?
答えはシンプルにゃ。
- お金を渡すことが、ほんまにその人のためになるのか?
- “ちょうどいい量”って、どれくらいなんか?
- 今、生きてるうちに一緒に何ができるか?
こうやって一歩引いて考えること。
それができたら、相続ってもっと“優しいもの”に変わるにゃ。
「ゼロで死ぬ」が理想って考え方もあるにゃ
「なんも残さへんの?」って思うかもしれへんけど、
それって生きてるうちに一緒に笑って使って、きれいに使い切ったってことやにゃ。
それって実は、めっちゃ幸せなこと。
- 財産が多すぎると相続税の対象になる
- 土地ばっかりでキャッシュがないと、相続人が泣きながら家を売ることになる
- 税金だけかかって、中身が残らんこともある
→ 必要以上に遺さないって、残される側への優しさでもあるにゃ
残すなら、“ちょっとありがとうって言える額”でええにゃ
なにも残さへんのが不安なら、
たとえば自分の葬儀代くらい、相続税がかからん程度、相手が無理なく扱える範囲。
それくらいがちょうどいいかもしれんにゃ。
- 多すぎると税金がかかって、かえって負担になることもある
- 土地ばっかりやと、現金ないから売らなあかんくなる場合もある
- なにより、「器をこえた金額」は、扱う方もしんどくなることがあるにゃ
金額よりも、「ちゃんと考えてくれてた」っていう気持ちが伝われば、
それだけで立派な“相続”やと思うにゃ。
それでも何か伝えたいなら、「遺言書」という手段もあるにゃ
制度としての話はさておき、
遺言書って“最後の手紙”みたいなもんやと思う。
- 公正証書にする必要はなくても、「何をどう思ってたか」だけでも書いておく
- お金の分け方より、「感謝」や「気持ち」を残す
- 「私はあなたのことを、ちゃんと大切に思ってたよ」って伝えるツールやにゃ
まとめ:相続でいちばん遺したいのは、“お金”やなくて“気持ち”にゃ
相続は、「財産の話」じゃなく「人生の終わり方」の話。
- どれだけ持ってるか
- じゃなくて、どう生きて、どう渡すか
- その答えが、「一緒に笑って使って、想いを伝えて終わる」やったら、最高やと思うにゃ
“ありがとう”って気持ちを遺せたら、それがいちばんの財産にゃ。