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まねこと暮らす前の、あるじの物語

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【第1章|静かな始まり〜孤独と小さな世界〜】

生まれ育った家は、広かった。
けれど、その広さが埋まることはなかった。
両親は共働きで、朝から晩まで働き、
家の中には、いつも静かな空気が流れていた。

物心ついた頃から、
一人で過ごすことが当たり前になっていた。

たまたま拾った一匹の野良猫と、
ゲームの中のキャラクターたちが、
僕の小さな世界を彩るすべてだった。

誰かと笑い合うでもなく、
思い出を共有することもなく、
時間だけが、静かに積み重なっていった。

両親は、家族のために頑張っていたのだろう。
生活のために、
欲しいものや、広い家や、
安定した暮らしを守ろうと、
必死だったのだと思う。

けれど子どもだった僕には、
その頑張りの意味を、まだうまく受け取れなかった。

そんな日々の中で、
幼いながらに、ふと疑問に思うことがあった。

「これが普通って、ほんとうに幸せなんだろうか?」

広い家や、立派な物たちに囲まれていても、
何かが満たされない感覚だけが、心に残っていた。

今になって思う。

あの時、本当に欲しかったのは、
広い家でも、綺麗なものでもなくて――
家族と過ごせたはずの時間や、
大切な人たちと笑い合えたかもしれない思い出だったのだと。

静かで広いだけの家に、
ぽつりと取り残されたあの頃の僕は、
ずっと、気づかないふりをしていたのかもしれない。


【第2章|自立への道〜社会に出る準備〜】

静かに積み重なった時間の先に、
やがて「社会」というものが待っていることを、
子どもながらにうすうす感じていた。

このままじゃいけない。
誰かに頼れる環境でもなかったから、
自分の足で立つしかない――
そんな思いが、
まだ幼い心の奥に静かに根を下ろしていた。

田舎では、車がなければ生きていけない。
通学にも、生活にも、働くにも、
まずは「自分で動ける力」を持つことが必須だった。

高校に進学すると、
周りが部活や遊びに打ち込んでいる中、
僕は、学業以外の時間のほとんどを
アルバイトに充てる道を選んだ。

朝に授業を受け、
夕方から夜まで働き、
休みの日もできる限りシフトを入れる日々。

誰かに言われたからでも、
誰かに褒められたかったからでもない。
ただ、
「自分で生きるために、必要だったから」。

時間をかけて、
こつこつと積み上げた貯金は、
やがて3桁を超えた。

それは、ただの数字ではなかった。
一日一日、学業と労働を両立しながら積み重ねた、
確かな重みだった。

そして、
自分で選び、自分で手に入れた車――
これからの生活を支えるための大切な一歩を、
自分の力で手に入れたとき、
ほんの少しだけ、
世界が広がったような気がした。

周りより少し早く、
社会の仕組みに触れ、
お金の重みを知った。

まだあの頃は、
それをうまく言葉にすることもできなかったけれど。

静かに、でも確実に、
僕は社会へと一歩踏み出していった。

【第3章|時間を差し出す日々〜働き続けた先に〜】

高校を卒業して、
僕はすぐに社会に出た。

最初に働いたのは、旅館だった。
朝早くから昼まで働き、
夜にまた戻ってくる中抜け勤務。

最初のうちは、
それが「社会で働く」ということだと思っていた。

けれど、
仕事と仕事の間にできるはずの時間は、
自由のようでいて、まるで自由じゃなかった。

身動きが取れない。
何もできない。

そんな中で、ふと心に浮かんだ。

「もっと自由に生きる方法はないのか?」

親たちもまた、
生活のために、家や物のために、
朝から晩まで働いていた。

このまま何も考えずに生きていったら、
同じように、
自分も誰かに寂しさを渡してしまうかもしれない。

そんな未来だけは、避けたかった。

だから僕は考えた。

何も持たない若い自分にできること――
それは、
「時間をかけること」しかなかった。

仕事をしたくない。
生活のために仕事に追われる毎日なんて嫌だ。
だからこそ、
まだ一人のうちに、
できる限り働いて、先に自由をつかもうと思った。

矛盾しているようだけど、
それが当時の僕なりの答えだった。

より効率を求め、
昼は調理系、夜は居酒屋での掛け持ち勤務を選んだ。

どちらの職場も、
ご飯は仕事中に済ませることができた。

家には、
寝に帰るだけ。

休みの日も、休むことはなかった。

17の頃から誘われて続けていた、
お茶、着付け、地域のNPO活動。

働くか、学ぶか。
どちらかしかない日々だった。

ちょうど周りの同年代が、
一番楽しく遊んでいるハタチ前後の時期。

僕は、
仕事と学びだけに追われていた。

あの頃は、
「もっと暇があったら」と、
何度も何度も思った。

けれど――
後になって、
自由を手に入れたときに気づくことになる。

お金をどれだけ増やしても、
数字だけを積み上げても、
若いときにしかできない経験や、
その時その時にしか咲かない笑顔は、
後からでは手に入らないということ。

ただ貯めるだけでも、
ただ使うだけでも、
生きることは満たされない。

本当に大切なのは、
バランスだったのだと。

【第4章|自由を夢見て〜思い出と配当金のバランスに気づく〜】


がむしゃらに働いた日々を抜け出して、
少しだけ自由を手に入れたとき、
ふと、立ち止まった。

――このままでいいのか?

生活のために働き、
働いたお金でまた生活を繋ぐ。
それを繰り返して、
ただ数字を積み上げるだけの人生。

少しずつ資産も増え、
4桁に近づく頃にはなっていた。

でも、それでも、
心はどこか、乾いたままだった。

お金は、もちろん大事だ。
けれど、
それだけでは、
本当に満たされることはないと、
うすうす感じはじめていた。

そんな中で、
ひとつの考えが、頭に浮かんだ。

――5年必死に働いて50年自由に生きるか、
それとも5年遊び倒して50年働くか。

もちろん、そんな極端な二択だけじゃない。
でも、どこかで「順番を選ぶ」ことが、
人生には必要なんだと思った。

金利を払う側で生きるか、
金利をもらう側で生きるか。

たったそれだけの違いが、
人生を大きく変えてしまう。

欲しいものがあったら、
そのためにすぐ働いて買うんじゃない。

まずは投資して、
増えた果実で手に入れる。

そうすれば、
資産は減らず、未来も削らない。

そんなシンプルな答えに、
若いうちにたどり着けた。

だから、がむしゃらに頑張ることも、
自然にできた。

けれど、それでも――

数字を増やすだけでは、
心の中にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。

思い出も、必要だった。

だから、世界へ出ることを決めた。

17歳から続けてきた、
お茶、着付け――
日本文化を、
遠い国の誰かに届けてみたいと思った。

着物を纏い、
4カ国語で書かれたおみくじを手に、
いろんな場所を歩いた。

行く先々で、
日本が好きな人たちが自然と集まってきた。

僕は、
観光地を案内してもらいながら、
お返しにお茶を点てたり、
おみくじを渡したりした。

向こうは、
日本を感じられることを喜び、
僕は、
人の温かさにふれることが嬉しかった。

押し付けるでもなく、
奪うでもなく。

ただ、そこに生まれた小さな交流が、
心を満たしていった。

たとえ異国の地にいても。
たとえ言葉が完全には通じなくても。

豊かさは、
外にあるんじゃなかった。

どこにいても、
どんな場所でも、
本当の豊かさは、
心の中にあるんだと――

お金の貯金も、
思い出の貯金も、
そして資産が生み出してくれる果実も。

すべてをバランスよく育てていくことが、
本当の意味で、
豊かに生きるということなんだと、
世界を巡る中で、
静かに、確かに、
そう思えるようになった。

【第5章|ゼロに戻って、気づいたこと】


世界を巡り、
日本に戻ったとき、
手元に残っていたのは、
思い出と、少しばかりの資産だった。

目に見える資産は、たしかに減った。
けれど、
目に見えない知識、経験、思い出は、
何ひとつ失われていなかった。

完全なFIREに必要だとされる金額には届かなかった。
それでも、
焦りは不思議と、なかった。

なぜなら、
帰ってきたときには、
違う景色が見えていたからだ。

格安の固定費、
自由な働き方、
車がなくても暮らせる環境――

たまたま巡り合えたその場所が、
思いがけず僕を支えてくれた。

でも、これは誰にでもできる再現性のある話じゃない。
たまたま僕には、これが合っていただけ。

環境のせいにせず、
どこにいても、
どう生きるかを自分で選ぶしかない。

あれだけ欲しかった「暇」も、
手に入れてみれば、
1ヶ月もしないうちに、飽きた。

隣の芝生は青い。
そんな当たり前のことを、
ようやく、実感として知った。

周りの人たちは、
今日も平日、電車に揺られて働いている。

休みも合わない。
自由に使えるお金も違う。
生活リズムも違う。

だからといって、
奢り続ける関係もまた違うと思った。

本気で集中して走り抜けた先に、
自由はたしかにあった。

けれど、
そこにいたのは、
ほんのわずかな少数派だった。

そして、自由の先には、
静かな孤独もあった。

けれど、
それを悲しいとは思わなかった。

自由とは、
何もしないことじゃなかった。

自由とは、選べることだった。

働くも、遊ぶも、学ぶも、休むも、
誰と過ごすか、一人でいるかも――

何かに追われるのではなく、
自分で選べること。

それこそが、
僕がずっと求めていた自由だった。

足るを知るということも、
ただ我慢することじゃなかった。

最低限を超えたその先で、
「どう生きたいか」を自分で選び取ること。
それが、
本当の意味で、豊かに生きるということだった。

そして今なら、はっきりと言える。

年齢なんて、ただの数字だ。

20代だろうが、30代だろうが、
そんなものは飾りに過ぎない。

大事なのは、
どんな時間を、
どんな意志で、
積み重ねてきたか――

それだけだ。


【第6章|いま、そしてこれから】


いま、
僕は、自由の中に生きている。

でも、
自由とは、
何もしないことじゃない。

遊びたいときに遊び、
働きたいときに働く。

誰かと過ごしたいときは誰かと、
一人でいたいときは一人で。

それを、自分で選べること。

それが、
僕にとっての、本当の自由だった。

自由になったからといって、
ずっと遊び続けたいわけでもない。

やりたいこともあるし、
守りたいものもある。

ただ時間を潰すのではなく、
ただお金を消費するのでもなく。

これからは、
「どう使うか」を選ぶ段階にきた。

無人島に持っていけないものに、
価値を感じるわけじゃない。

本当に大切なのは、
自分自身をどう育てるかだ。

持つことに意味を求めるのではなく、
使い方に価値を見出したい。

同じ1万円でも、
使う人によって、
引き出せる価値はまったく違う。

これからは、
時間もお金も、
ちゃんと価値ある使い方をしていく。

思い出の貯金も、
資産から生まれる果実も、
どちらもバランスよく育てながら。

「生きるために」じゃない。
「どう豊かに生きるか」を考えるステージへ。

完璧な人生なんて、きっとない。

それでも、
小さな幸せを大切にしながら、
まだ見ぬ景色を目指して歩き続ける。

自由とは、
ゴールじゃない。

自由とは、
選び続けること。

これからもずっと、
自分だけの道を、
静かに、でも確かに、
歩き続けていく。


【エピローグ|これから出会う猫たちへ】

──そして。

これまで自分一人で歩いてきた道を、
今度は、誰かのために使いたいと思った。

かつて孤独だった自分のように、
どこかで小さく震えている猫たち(=誰か)に。

たった一匹でも、
たった一人でも。

あの日、僕が欲しかった温もりを、
今度は届ける側になりたい。

そして、
自分の歩んできたこの道が、
誰かの心の助けになるきっかけになれたら――

それ以上の幸せは、きっとない。

そんな想いを胸に、
僕はこれからも、
静かに、でも確かに、
歩き続けていく。

自由に、賢く、心豊かに。まねこと一緒に、まねこ道を歩んでいます。
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