PR

幸せって、人と比べた先にはなかったにゃ

なごみ編(人生・心)
この記事は約2分で読めます。

■ 「もっと欲しい」って思うのは悪くない。けど…

SNSで、知り合いが新しい車を買った。
別の人は、広くておしゃれな家に住んでる。
それを見て「いいなぁ」って思った自分がいる。

でも…
「自分も欲しい」って思ってたはずなのに、
手に入れても、なんか物足りない。
あれ…これって、ほんまに自分が欲しかったんかな?


■ 見栄で選んだものに、心はついてこない

高い服を着てても、どこか落ち着かへん。
いいもの持ってても、「似合ってる?」って周りが気になる。
ちょっと背伸びした店に行っても、心はどこか疲れてる。

→ それって、“誰かに見せるため”に選んだものやったんかもしれん。


■ 上を見ればキリがない、けど、下を見ても満たされへん

見栄は「もっと、もっと」って気持ちを育てる。
「この人よりはマシ」って思ったとき、ちょっとだけ安心する。
…でもそのあと、なんか虚しくなるんよな。

比べて勝ったときに得られる安心は、
“次また勝たなきゃ”って不安のタネになる。


■ 幸せって、静かに溶け込んでるから気づきにくい

寝る布団があって、ごはんが食べられて、誰かと笑える時間がある。
それだけで、ほんまは“もう足りてる”こと、ある。

でも基準が上がると、人は“満たされた感覚”を忘れてまう。
→ 高い寿司を食べ慣れたら、スーパーの寿司が味気なくなるみたいに。


■ 世界を旅してわかった、あの笑顔の理由

海外で見た何もない町の人たち。
みんなニコニコしてた。モノは少なくても、目がすごく澄んでた。

聞いたら、今日ごはんを食べられることが嬉しいって言ってた。
ほんまにそれだけやった。でも、それがあれば十分やって。

ないことを数える前に、「ある」ことに感謝するって、
あんなに自然にできるもんなんやなって衝撃やった。


■ たぶん俺らは、もうずっと満たされてるのに、気づいてないだけ

持ってることに慣れすぎて、あるのが当然になって、
「なんで幸せ感じられへんのやろ」って悩んでる。

でもたぶん、もう十分やねん。
本当は、今この瞬間も“ある”のに、
“もっと”に目を奪われて、見えてへんだけなんやと思う。


■ まとめ:「これでいい」って、自分で言えるようになったら、もう大丈夫やにゃ

幸せって、外にあるものやなくて、
自分の中に、もうあったって気づく力なんやと思う。

誰かと比べてると、ずっと足りない気がするけど、
自分の軸で「これでええやん」って思えたとき、 そこにほんまの豊かさがあるにゃ。


タイトルとURLをコピーしました