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どこで、なにを、より“誰と”。人生の質を決めるもの

なごみ編(人生・心)
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幸せって、なんなんやろな?

美味しいものを食べること?
人気の旅行先に行くこと?
広い家に住むこと?
ブランドの服やバッグを持つこと?

確かに、それが幸せの一部になる人もおるし、
そういうものに憧れた経験がある人も多いと思う。

でもふと、思うことがある。
それって本当に、自分の心から“幸せ”やと思えることなんかな?


同じ体験でも、「誰と」かで変わることって多い

たとえば——

会社の飲み会で、上司と1対1で高めの和食屋に連れて行かれたとき。
出てきたのは普段なら絶対頼まんような上品なコース料理。
でもこっちは気を張りっぱなしで、味なんて覚えてへんかった。

それに比べて、夏の夕方、
コンビニで買ったじゃがりことアイスを、友達と公園のベンチで分け合って食べたとき。
くだらん話しながら笑って、猫が近寄ってきて、そっちの方がよっぽど満たされてた。

旅行でもそう。
絶景スポットでも、空気が合わん人とやと気疲れして記憶に残らん。
逆に、近場の温泉でも気を許せる人となら「また行きたいな」ってなる。

仕事も同じ。
やる内容より「誰とやるか」で、やる気も疲労感も全然ちゃう。

飲み会もわかりやすい。
会社の飲み会って、ほんまは行きたくないのに断れんくて、
気も遣うし話も合わせなあかんし、ただただ疲れるだけの時間になることもある。

けど、気の合う仲間と集まったときの飲み会は別物。
安い居酒屋でも、話が止まらんし笑ってばっかで、時間が一瞬で過ぎていく。

同じ「飲み会」って行動でも、誰と行くかで中身がまったく変わる。


“誰と過ごすか”は、人生の中でもかなり大きい選択

食事、旅行、仕事、遊び——
ぜんぶ、“誰と”を抜きにして語れへんぐらい、影響が大きい。

いい場所、いいモノ、いい時間も、
人間関係ひとつでそれが“ストレス”にも“幸せ”にもなる。

心の満足度って、「何をしたか」じゃなく「誰とだったか」で決まることが多い。


道具も一緒。大事なのは“どう使うか”の方

これはモノにも言える。

包丁は、人を傷つけることもあれば、
誰かのために美味しいごはんをつくる道具にもなる。

スマホもそうやろ。
いいことをシェアすれば嬉しい場になるし、
悪口や叩きが飛び交えば、一気に冷たくなる。
人の投稿に「いいね」するだけでも、誰かの心は救われるかもしれんし、
逆にスルーや一言で誰かを追い詰めることもある。

お金もそう。
誰かと比べるために使えば空しくなるし、
誰かを笑顔にするために使えたら、同じ1万円でも意味が変わってくる。

ツールって、それ単体で良し悪しが決まるもんちゃう。
「使う人がどう使うか」がすべてやと思う。


結局、“人”が中心

場所・体験・道具——
どれも、それだけでは本当の価値を持たへん。

何を持ってるか、どこへ行くか、なにを買ったか。
そういう外側の要素よりも、
「誰と一緒にそれを使い、どう過ごしたか」の方が、はるかに深く心に残る。


自分にとっての“心地いい人・時間・使い方”を

誰といたいか。
どんな時間を過ごしたいか。
自分が納得できる使い方・関係の築き方を選んでいく。

それが、自分の人生の質を決めてくれると思う。

派手じゃなくていい。
比べて勝たなくてもいい。

ちゃんと「これでよかった」って思える毎日をつくれるなら、
それはもう、じゅうぶん幸せなんやと思う。

誰かに分けた分だけ、自分の心があったかくなる。
そんな余り方もある。

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